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カテゴリ:社会 の記事一覧

ネットの「口コミ」は「口コミ」にあらず

「ろこみ」ではなくクチコミです。(蛇足的挨拶)


7年くらい使っていたノートパソコンがあちこちガタがきていたので、
本格的に壊れる前に新しいのを買おうと色々検討してみた。

今までパソコンはそれなりの数を購入していて、色々なメーカーも試して、
自分なりにどこを気をつければいいかとかもわかってはいるのだけど。

今回ガタがきていたパソコンは「マウスコンピューター」製で、
使っていたと言っても、持ち運び専用で、このところ使う頻度も激減していたので、
しっかり使って7年というのとは訳が違うのだが、
一番の理由はバッテリーが死んでしまったので、まぁ潮時かな、と。

で、新しいものを買うにあたり、一番は「軽さ」。
以前会社貸与品(2kgオーバー)を毎日のように持ち歩いていたら腰を痛めたため。

iOSは私にとっては論外なので最初から選択肢に入らない。
あとキーボード配置がたまにCtrlキーが一番左じゃないのがあるので、それは却下。

そして最終的に決定したのが、富士通「LIFEBOOK WU2/C3」。
重さ約700gというのが非常に魅力的。

最後まで迷ったのはHP社製のもので、デザインは圧倒的にHPだったのだが、
重さ1kgオーバーなのとキーボードの↑↓キーが小さいのが敗因。


ということで、発注したのだが。

ここからがようやく本題。

(情報系ブログ的な要素をちょっと入れてみたかったわけではないわけではない)

HP社製パソコンは何気に3台も買ったくらいお気に入りで信頼もそれなりなのだが、
富士通製パソコンを購入したのは初めてで、本当によかったのか、買ってから不安になった。

で、届く前に、とある口コミサイトを見てみた。

すると、「二度と買わない」の嵐。嵐は5人どころじゃなかったよ。


これは失敗したかな・・・と思った。が。


同じサイトに他社製品の口コミもあるので、見てみた。

すると、同じような書き込みがいっぱい・・・。


よく「ノイジーマイノリティー」なんて言うけど、
結局、人間の行動原理として、嫌な思いをしたから、どこかで発散したいんだよね。
快適に使えてたら書かないもの、普通。
そりゃ、匿名の口コミなんて悪口しか書かないよねー。そだねー。

そうだよねー・・・

きっとそうだよねー・・・・


届くの楽しみだなー(震え声)

スポンサーサイト



メダルを噛む

ソチオリンピック開催中ということで、
今少し話題になっているJOCによる「メダルかじり」禁止令について。

どっかの天皇家の血筋だかなんだかって人が「下品だから噛むな」とか、
元アスリートが「好きにやらせてあげればいいじゃないか」とか、
まぁ議論が盛り上がってるのかどうかよくわからないけど。


要はね、メダルが誰のものかってことですよ。

とった人、個人のものでしょ?確か。


だったら、噛もうが何しようが、その人の自由じゃない。


噛むのも自由。

あげるのも自由。

捨てるのも自由。

どれだけ跳ねるかなーって川に水平に投げてみるのも自由。

振り子にして催眠術かけるのも自由。

タバコを貫通させる超能力を披露するのも自由。

クネッって曲げて「これがメンタリズムです」って言い張るのも自由。

周りにチョコをコーティングして、
知らない人に「はい、メダルチョコ!」って食べさせてみて、ガキッってなって、
「実はホンモノでしたー」ってドッキリしかけるのも自由。

顔面センターがクビになってぱみゅぱみゅがCMやってるのはGU。


何やっても自由なんですよ。


ただし、この議論でひっかかるのが、オリンピック選手が「国の代表」っていうところ。

そもそも私は国がオリンピック用に選手を強化したりする送迎したりすることに
血税を使うこと自体が全くもって大反対
(招致はまた別問題)なんですが、
それはさておき、国という組織が血税を費やして送り出している選手である以上、
スポンサーである国民に対して喧嘩を売るようなマネはしちゃいけないと思うんですね。

例えば「もう引退するからサポートなんかいらねぇよ」っていう選手はいいですけど。
「一応今後国会議員目指すからこれからもよろしくねキャピ」っていう場合はダメですけど。


じゃあ、果たしてメダルを噛むという行為が、日本人にとって不快なのか。

そもそも、この行為自体、どっかの国の人が初めて、いろんな国の人がマネしてること。

今や世界中のメダリストがやっている行為に対して、日本人だけが不快に感じているのか。


実態はわからないけれど、たぶん世界では特に気にしてないし、
かわいいとかかっこいいとか思われてるからみんなやってるんじゃないの?


もちろん、日本人にはわからない、世界の「あたりまえ」ってのもいっぱい存在するとは思う。

NIPPONじゃなくてJAPANって呼ぶとか。

カリフォルニアロールとか。

GREEN TEAに砂糖を入れるとか。

「赤いスイートピー」のサビの「I will follow you」の発音だけがやたらいい帰国子女とか。


そういったものまで日本人に受け入れろったって、そりゃ無理かもわからないけど。


元々、メダルが本物かどうか確かめるために始めたんでしょ?(本当かどうか知らないけど)
それが、マスコミが写真撮影するのにちょうどいいからって普及していったって話で。
確かめたいなら勝手に確かめさせてあげればいいじゃない。

もっとも、中国製だったら農薬とか混じってそうでかじれないけど(って日本もか!)
ロシア製だったら放射能とか検出されそ(以下同文)



ま、要するに自己責任でお好きにどうぞって話で、
少なくとも禁止令出すようなことじゃないよね、ということ。



私がメダルもらったら、そうだなー、まずなくすのがいちばんこわいから、
まずウラに名前と学年と組と出席番号書いてー、あと電話番号かいてー、
それで合コン行って、気になる相手に「これオレの連絡先☆」って渡すかな!



ガンバレ日本人選手。(なんだこの心のこもってなさ)

今こそ年賀状

新年明けまして。


年賀状をはじめとする、対面でもなく、広告のように一方的でもない
「年始の挨拶」というものが一体何の意味があるのか。


普段交流がある人と、気分を一新する意味。
って意味あるの?

普段交流がない人と、年1回くらい交流する機会としての意味。
本当に?それって交流になってる?1往復で終わってない?


という疑問はさておき、問題はその方法。


私なんかは年賀状というものが当たり前ではなくなってしまった世代なので、
今年もハガキでもらった年賀状など数えるほどでしかなかったのだけれど。

周りがみんなそうだから、という理由で自分からも年賀状は出さなくなってしまった。


ではどうしているかといえば、自分からは何もしていない。

なぜか。


年始の挨拶の必要性という疑問もそうだが、ツールが不安定である。

年賀状の次に一般的になったツールといえばケータイメールであったと感じているが、
ケータイ会社はメールを控えてほしいと言い出す始末。

じゃあどうするかといえば、みんないろんな方法で挨拶をしてくる始末。

PCメールだの、Facebookだの、LINEだの・・・結局ケータイメールの人も。


年賀状において、プリンタを使って省力化されていることへの非難というのは
つきまとっている問題の1つではあると思うが、
こうも様々なツールでアプローチされると、
それぞれに対応しなければならないことに対して疲弊してしまう。
(だったら自分から先手を打ってしまえばいい、というのは置いておいて)



そう考えると、年賀状というのは、ツールとして最も優れているように思えてしまう。
画一的であって、個性がにじみ出て、形として残るものである。


何より、他のツールはすべて電子媒体というのが味気なさを感じる。

年始の挨拶なんて、言ってしまえばあってもなくてもいいようなものなのだから、
わざわざやるくらいだったら、少しでも心に残るようなものがいいのではないか。



そんなわけで、近いうちに年賀状文化が見直されてもいいと思うのだけれど、
こればっかりは時代の流れなのでなんとも。



どうでもいいけど、「おっぱっぴー」って新年っぽいよね。

何のための法律か

次長課長河本の母親生活保護不正受給問題。

思った以上に盛り上がっちゃってて、今さらコメントもしづらいところはあるのだけど。


あくまで「モラル」という点でいえば、河本さん側は責められても仕方のない話。



が、この問題の本質は、もちろん他のところにある。

そもそも不正受給がまかりとおっているという実態。




いろいろな意見が飛び交っている。



きちんとチェックしなかった地方公務員が悪いという意見も見かけた。


果たして本当にそうなのか?

本当にチェックするためのプロセスはキチンと整備されていたのか?


日本はあくまでも「三権分立」ということになっている。



その点で言うと、地方公務員は「行政」である。

「行政」は「立法」がつくった「法」に従って粛々と実務を行うだけである。

仮に受給資格をチェックするプロセスが事細かに定められていて、
それをサボっていたというのなら「行政」側にも問題はあるだろうが、
チェックプロセスがざっくりした内容でしか定められておらず、
その範囲内に限ってチェックしていたのであれば、どうか。

人はそれを「お役所仕事」と言うが、決してそれが問題かと言われれば、
必ずしもそうとはいえない。

マニュアル化社会において、マニュアルから逸脱した行為というのは、
場合によっては「サービス」と言われるが、
それが「品質の悪化」につながることも十分にありうる。

ましてや「行政」担当者の給料は税金から支払われるのだから、
「お役所仕事」以外の仕事をすることで仕事が増えてしまうのであれば、
それは容易に看過してよい話ではない。

つまり、「行政」を悪者にするのはおかしい。



法の抜け道を姑息に見つけたとかいうならまだしも、
黙っているだけで不正受給がまかりとおってしまうような制度だとすれば、
悪いのはどう考えても「立法」である。


なので、国会議員は自分の仕事が不十分であったことを十分に反省すべきである。

制度なんて、作った側の人間が従う側の人間より詳しいのは当たり前のこと。

自分たちが作った制度が不十分であることを見過ごしていた分際で、
その制度を少しよくわからずに使ったからといってその人間を責めるのは
筋違い以外の何物でもない。



生活保護の事実関係をあまり把握しきれずに書いているので
少しおかしな点はあるかもしれないが、原理原則からすればこういう話ではないのか?


むしろ、国会議員にこんな余計な仕事をすることを許している憲法をよしとしている
国民自体に責任があるといえばそうかもしれないが、
そこまで話を大きくするともうわけがわからなくなるので、ここまで。


自転車に音楽を

先日、ある地方に行ったところ、私の住んでいる地域では見ない光景を目にした。


「自転車走行中の携帯電話・ヘッドホン禁止」と書かれたプラカードを掲げ、
さも「正義の使者です」と言わんばかりの顔つきで、
狭い交差点で通行人の邪魔になりながら悠然と立つおじいさま。


なんというか、情けない光景だと感じた。
どうせ市で雇っているのだろうから、それはもう税金のムダ使い。


そもそも、自転車走行中のヘッドホン禁止などという条例だか規則が
何の考えもなく施行されていることに腹が立つ。
というのも、もちろん私は音楽を聴きたいからである。



はっきり言って、聴覚と安全運転の間にはほとんど関係がない、と思う。

私は高校生の頃から10年以上音楽を聴きながら自転車を運転しているが、
それなりに交通量の多い地域ではあるが、事故にあったことは一度もない。

危うく事故になりそうなこともあったが、それは単に視覚的な不注意によるもので、
聞こえていれば防げたか、と聞かれたら、100%「NO」である。

周りの音が聞こえていようがいまいが、
交差点や曲がり角での減速・左右確認のような
ごく当たり前の安全運転をしていれば、
少なくとも自分が原因で事故になることは100%あり得ない。

道路上で聴覚から得られる情報なんてほとんどない。
歩行者や自転車じゃ音なんか発しないし、
最近じゃ車だってどんどん静かになってきている。
クラクションとかベルとか鳴らされれば、音楽聴いてたって気づく。
(そもそも鳴らされるような運転はしていないので鳴らす方が悪い)

もし規制を正当化する理由が「より安全にするため」とかいうなら、
自動車運転中のラジオ・音楽はおろか、カーナビすら禁止すべきである。
カーナビの確認は停車中のみ、とすべき。
自転車運転中の音楽なんて、それと同レベルの話。

そう思ってネット上の意見を探してみたところ、
意外や意外、「音楽聴きながら運転は危ない」という意見が多かった。
みんながまともに考えていないのか、自分の認識が違うのか。

だいたい、難聴者は自転車を運転できないのか?


最近は「暴走自転車」なんて言われて問題になっているようだが、
そんなのは音楽聴きながら運転するのとはまったく別の話である。
似たような問題は全部まとめてしまおうというのが悪い風潮だ。

地下鉄のホームの広告でも、音楽聴きながら歩くのは危険、
みたいなことが書いてあったり。いやいや。



結局、諸悪の根源はケータイ見ながら歩いたり自転車乗ったりするヤツ。
そっちは死ぬほど危ない。それと一緒にされたんじゃたまらない。

自転車を運転するときは周りをよく見るなんて当たり前のことで、
そんなこともできないヤツが多いなら、それこそ自転車も免許制でいい。
もちろん、その場合は「音楽聴きながら運転するのは一向に構わない」という前提で。


要するに、物事の本質をちゃんと見極めましょうね、というお話。


まぁこーゆー法律決めてるような輩っていうのは
他人が運転する車にしか乗ってないような連中ばっかりだろうから、
こーゆー問題についてはろくに考えてないんだよね。