2013年01月 の記事一覧

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今こそ年賀状

新年明けまして。


年賀状をはじめとする、対面でもなく、広告のように一方的でもない
「年始の挨拶」というものが一体何の意味があるのか。


普段交流がある人と、気分を一新する意味。
って意味あるの?

普段交流がない人と、年1回くらい交流する機会としての意味。
本当に?それって交流になってる?1往復で終わってない?


という疑問はさておき、問題はその方法。


私なんかは年賀状というものが当たり前ではなくなってしまった世代なので、
今年もハガキでもらった年賀状など数えるほどでしかなかったのだけれど。

周りがみんなそうだから、という理由で自分からも年賀状は出さなくなってしまった。


ではどうしているかといえば、自分からは何もしていない。

なぜか。


年始の挨拶の必要性という疑問もそうだが、ツールが不安定である。

年賀状の次に一般的になったツールといえばケータイメールであったと感じているが、
ケータイ会社はメールを控えてほしいと言い出す始末。

じゃあどうするかといえば、みんないろんな方法で挨拶をしてくる始末。

PCメールだの、Facebookだの、LINEだの・・・結局ケータイメールの人も。


年賀状において、プリンタを使って省力化されていることへの非難というのは
つきまとっている問題の1つではあると思うが、
こうも様々なツールでアプローチされると、
それぞれに対応しなければならないことに対して疲弊してしまう。
(だったら自分から先手を打ってしまえばいい、というのは置いておいて)



そう考えると、年賀状というのは、ツールとして最も優れているように思えてしまう。
画一的であって、個性がにじみ出て、形として残るものである。


何より、他のツールはすべて電子媒体というのが味気なさを感じる。

年始の挨拶なんて、言ってしまえばあってもなくてもいいようなものなのだから、
わざわざやるくらいだったら、少しでも心に残るようなものがいいのではないか。



そんなわけで、近いうちに年賀状文化が見直されてもいいと思うのだけれど、
こればっかりは時代の流れなのでなんとも。



どうでもいいけど、「おっぱっぴー」って新年っぽいよね。

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